窖改

好きを語り倒す

陳情令感想 39話 こぼれ落ちた飴

陳情令第39話感想です。
原作との比較と、がっつりネタバレしますのでご注意。



霧の中で舌戦、羨vs.薛洋。
これは羨の作戦です。霧に紛れて捉えられない薛洋を動揺させることと、薛洋に喋らせることで忘機に位置を教えることが目的。
これね、羨が言ってることがよく分からなかったんだ。ドラマは特に共情の内容を途中までしか見せてないので、視聴者はその後の薛洋と星塵を知らない状態での羨の弁論だから(羨は最後まで見て知ってる)。
フライングになっちゃうけど、原作と合わせて考えてようやく分かった。常萍を凌遅(少しずつ肉を削ぎ落とす殺し方)したとき使ったのが霜華なら、星塵が死んだ後にやったってことなんだよね。星塵の死後の薛洋の状態を考えると「復讐されるべきなのはお前」という羨の理論に行き着くんだ、なるほどー(手ぽん)。「復讐」という言葉が掛かるとこが違うの。身も蓋もない言い方すれば薛洋の自業自得。すごい重い意味での。
薛洋のあの顔、本当は分かってたのを言い当てられた顔なのか、思いもよらなかったことを言われた顔なのか。

刺顱釘キャッチの温寧が男前。
忘機より離れてたのに!
戦闘モードの温寧は立ち姿がかっこいい。平時のぽやっとした天使ちゃんとのギャップが好き。
しかしセコム機能が温寧のが上とか、忘機、内心ですごい悔しがってそう。護衛対象一緒だから守れるならどっちでもいいとかではないのだ、気持ち的に。
しかしこの刺顱釘、血が付いてるんだが。羨が宋嵐からあっちとこっちでそれぞれに抜いてポイしてた刺顱釘を、薛洋こっそり拾ってたの?

阿箐の執念。
原作では幽霊だった阿箐ですが、ドラマは生きてる傀儡扱いの様子。10年前と同じ姿なのは、傀儡は歳取らないとかそういう?(謎)
ドラマだとすごいザックリなので原作からちょっと補足。星塵の死を見届けた後、薛洋から逃げ出す阿箐ですが、星塵の仇を討てる仙師を探す途中で薛洋に見つかり、目を潰され舌を切られて殺されます。羨はここまで共情でしっかり見てる。ドラマで共情の終盤を濁す撮り方したのは、阿箐を幽霊でなく傀儡として出す都合だったのね。

鬼面男乱入。
ドラマ→鬼面男が陰虎符だけ持ち逃げ。
原作→墓荒らし(ドラマの鬼面男と同一)が薛洋ごと持ち逃げ(?)

ドラマは薛洋が見捨てられた感すごいなーと思ってたけど、よく見たら一応彼も連れて行こうとはしてましたね。多少は仲間意識があったのか。
前からうっすら思ってたけども、薛洋は痛覚欠損だったんじゃないだろうか。明言がないからあくまで想像だけど、生まれ付き痛みを感じる細胞がないから、痛みに関する心が育たないまま人格形成された結果が薛洋。いや、例えば酷い幼少期を過ごして痛みに耐性が出来てたとも考えられるけど、そうだとしても片腕切り落とされて平気な顔してるとか、普通ではないと思うんだ。

蛇足補足。
原作だと墓荒らしに薛洋ごと持ち去られるので、ここで薛洋の出番は最後になります。
ホッと一息ついたところで忘機から羨に、ホイと投げ渡されたのが片腕兄さんの右腕。これで片腕兄さんの頭部以外が揃います。が、大事なのは、濃霧の中宋嵐以外との戦闘を一手に引き受けていながら傷ひとつないばかりか、右腕を探す余裕まであった忘機の高性能っぷり。スペック高すぎ。惚れるわー。

ドラマに戻って、置いてかれた薛洋と薛洋の記憶。
飴の話がただ子供の薛洋が欲しがったところからしか語られてませんが、本当はもっと酷いです。もともと飴は常萍の父親が浮浪児の薛洋にあげる約束をしたもの。菓子が欲しいならと交換に酷いお使いを押し付け、薛洋が出先で殴られて戻ったときには菓子はなく、常萍の父親も馬車で帰ろうとしてた。だから約束の飴をくれと縋ったら鞭で打たれて指を轢かれた、という話。
理不尽に理不尽で返した復讐話ではあるんです。あるんだけども。ここまでなると理解も納得も共感もできない…。
「許してくれ」
ドラマの星塵のこの台詞は、薛洋に対する言葉ではないように感じる。原作だと言い回しが違うので薛洋に言ってると思ったけども、ドラマのこの言葉は宋嵐と、殺してしまった村人全員に対して向けたものではないかしら。薛洋は自分に対して許しを乞うてると思ったみたいだけど、自らが宋嵐を殺していたと知った時点でもう星塵の頭から薛洋の存在は消えてたと思う。
夜。
甲斐甲斐しく遺体の世話をする薛洋の歪みが気持ち悪い。死が絶対ではない世界だから、蘇らせる思考自体はおかしくないんだけども。それでもこの愛しい人を扱うような優しさと嬉々とした様子が、精神の異常ぶりを見せつけられてるようでゾッとする。
嬉々から鬼気へ。
ここまで魂を痛めつけられて自害した人が蘇るわけない、ということまでは理解できないんだね。それを言ったらドラマ羨もよく魂が無事だったなって話になるんだが(原作羨とは死因が違う)。
薛洋の最期。
原作では忘機が薛洋を刺したけども生死は曖昧にされていたところを、ドラマではきっちり見せてきましたね。星塵の仇を宋嵐が取ってくれた形にしたのか。阿箐、最後の願い、叶ったよ。
星塵の真心が泣かす。本当に本当にもう、何でこんないい人がこんな目に…(泣)
薛洋の愛情表現だったんだなぁ…って納得できるかー!
壮大な感じにしてるけど同情なんかしない。死んだからって同じとこに行けると思うな。

阿箐にお墓作ってあげる御一行様。
道っぱた(…)。ずーっと後の世に、いつの間にか道祖神とかに格上げされてそう。実は結構情に脆かった景儀と号泣してる子真辺りが、折に触れて手を合わせに来てくれそう。成仏しておくれ。

「幸いだった」
「何がだ?」
いやホントに。
これね、ドラマオリジナルの台詞で答え合わせもないので、ずっと考えてたの。薛洋含めた義城編メンバー4人それぞれに、幸い、が当てはまるかどうか。最初は阿箐に対しての言葉かと思ってた。自分らがここに呼ばれたために、結果として阿箐の無念を晴らせて良かったって意味かと。
でも今この感想書いてて思い直した。チラッと上記したけども、ドラマは星塵と羨の死因が同じなんだよね。絶望からの自害。普通に考えたら星塵と同じで、あそこまで追い詰められた魂が無事なわけがない。砕けててもおかしくなかったのに、事実として羨の魂は健全な状態で残り、たとえ陰謀に巻き込まれた結果だったとしても献舎を経て蘇ることができた。忘機にとってはまさに「幸いだった」だよな、と。
理解してからこのシーンを改めて見ると、台詞を言う前の忘機の所作とか視線とか間とか、醸す空気が全部羨に向かってんだよ。思わずニヨった。
これで当の本人が「何がだ?」て、お前のことだよ!
忘機、がんばれ(肩ぽん)

宋嵐との別れ。
あれ、宋嵐、首の血管模様がない。主人(薛洋)が死んだから術が解けて、生きた普通の人間に戻ったってこと?顔色も温寧みたいに青白くないし。
星塵に殺された云々は……ま、いっか。
ドラマは星塵の霊識だけなんですね。原作は星塵のと一緒に阿箐の霊識も渡しています。
砕けた霊識を抱いて、いずれ蘇るかもしれない友を待つ旅に出る宋嵐。忘機は、宋嵐が自分と重なるんだろうと思います。それでも自分は、16年で再会することができた。宋嵐にもそう言う未来を願ったんじゃないかしら。
守ってあげて、霜華(願)

本筋に戻ります。
ドラマは棺の下に頭部以外の体が揃った状態で鎮圧されてるのですね。だから体そのものじゃなくて刀霊を利用したのか。

潭州再び。
過去編でやった蒔花女の花園が、本来はここに入ります。花園で、首以外の体が揃った片腕兄さんと弟子たちが命懸けの抜き足差し足鬼ごっこする。そんで合流した㬢臣兄様と忘機で鎮圧する。
それはそれで割と平和な感じのエピソードでしたが、ドラマは普通に平和な憩い時間になってますね。夜店でキャッキャする弟子たちが子供らしくて可愛い。歳で言ったら中高生くらいだもんなぁ。
それぞれが過去に思いを馳せるシーンは良いですね。繋がりを匂わせるだけじゃなくて、記憶のカケラだったり懐かしかったり悲しかったり、色々だけどどれも大事な過去。羨の笑顔が可愛いんだわー。忘機の存在に救われてるとこあるんだろうなぁと思う。

宿で沢蕪君と合流。
普通に合流しちゃうので藍氏双璧の合奏が聞けないのが残念無念。裂氷と忘機琴と羨の笛の合奏とか、たとえ戦曲でも貴重すぎて尊死する。
刀霊は覇下、棺の首無し遺体は赤鋒尊。
聶氏の祭刀堂を知ってて、金氏と藍氏の剣術に詳しく、赤鋒尊とも縁がある、って言ったら「彼」しかいないけど、実行犯違うから。忘機、核心。
㬢臣兄様がこういう人だから、忘機が羨を気にかけてたときに信じて背中押してくれたんだったと思ったら、黒幕その1腹立つんだ本当に。今は兄上が過去編の忘機と同じ状況だからね。兄上の心情を一番理解できるのは忘機だろうと思う。でも「彼」は羨とは違うんだ、心の有りようが根本的に。

揉める弟子たち。
あー、んー、これは仕方ない。金凌にとってはね、親の仇みたいなもんだから。魏無羨を憎む叔父の江澄見て育ってるから。
ていうか、藍氏の弟子たちが特別に魏無羨を敵視してないだけで、世間一般的な反応としては金凌が普通なんだよね。夷陵老祖魏無羨は極悪非道。世の悪事は全てこいつのせい。
分かってるけどつらい…。


沢蕪君に正体バレました、で、次回持ち越し。
「刀霊は必然的に莫家荘に現れた」は間違ってないけどミスリードー!
このタイミングでそれ言ったら、今疑われてる「彼」が刀霊放ったみたいじゃん。赤鋒尊を殺した人と刀霊放った人は別だって推理したの自分でしょうが、しっかりしろよし。
ここら辺からジワジワと心労がかさんでいくのが羨から㬢臣に移行していきます。がんばれ兄上!